孫正義の人生・名言

ソフトバンク創業者

電子手帳の生みの親

項目人物像データ
本名:孫正義(そんまさよし)
特徴:頭脳明晰・のめり込む性格・アイデアマン・チャレンジャー
得意科目:マーケティング(?)
出身大学:カリフォルニア大学
大学の専攻科目:経済学

孫正義の半生

人一倍の努力をする覚悟

1957年滋賀県鳥栖で在日韓国人として生まれる。
父親は小さな企業の経営者で孫正義が幼い頃から新製品に対する意見を求めたり、在日韓国人は日本人よりよっぽど努力しないと成功しないぞと話したという。

並外れた行動力

中学の頃、福岡に転校することになる。
そのまま福岡で有名な久留米大学附設高等学校に入学する。
高校時代には起業家精神が強くなっており、「日本マクドナルド」や「日本トイザらス」の創業者藤田田に憧れ懇願して東京で面会することに成功する。
この藤田田との面会をきっかけにアメリカに関心を抱くようになり、夏休みを利用して英語を学ぶためという目的でカリフォルニアに渡米。
そして、久留米大学附設高等学校を1年で中退し、セラモンテ高等学校に2年生として入学。
セラモンテ高等学校ではすぐさま4年生へ飛び級し卒業検定試験にも合格したために3週間で退学する。
その後、ホーリー・ネーム・カレッジに入学し2年で編入、カリフォルニア大学へと移ることになる。

数々のアイデアがソフトバンクを生んだ

カリフォルニア大学に在学中、お金をつくるため何かを発明したいと考え、1日1つ必ず何か新しいアイデアを考えるということを決めた。
このとき、電子手帳の原型ともいえるアイデアを思いつきシャープにそのアイデアの特許を100万ドル(約1億円)で売却する。

その資金を元手に日本でブームが去ったインベーダーゲームを安くアメリカに輸入しアメリカで流行らせた。
この事業はアメリカゲーム機器販売のトップにまで成長した。
大学を卒業した孫正義はこのゲーム機器販売会社を仲間の一人に譲り渡し、福岡に帰国する。

1981年、23歳のとき日本に帰った孫正義は自己資金と融資でソフトバンクを設立する。
設立当初(1983年)に重度の肝炎にかかり一時社長業を退くことになるが、3年後に復帰し更にビジネスへの情熱を燃やすことになる。

妻との結婚と国籍の逸話

1990年には日本人の奥さんと結婚しており、妻の性を「孫」に改名させ、日本人に「ソン」の名前のまま帰化する。(日本国籍は韓国性では本来取得できないものだったが、日本人である妻が「孫」という名前になることによって日本性にも「孫」はあり得ると執念の説得をした。)

Yahoo!の大当たり

次第にインターネットの時代が来ると確信を持つようになるとアメリカへ渡り、インターネット関連の新興会社に次々に投資していった。
その投資先の中には誕生して間もないヤフーもあり、ヤフーが株式の上場を果たすことにより大当たりを引くことになる。
そのまま1996年に米ヤフーと合弁しヤフー株式会社を設立することに成功した。

ここからインターネットの世界に本格的に集中する。
いままで買収していた企業をいくつか手放し、インターネット関連企業の株式を買収したり、創業当初から育てることにより垂直的に自社に統合し事業を拡大した。(テレビ朝日、ナスダック・ジャパンプランニング、あおぞら銀行、日本テレコム、ボーダフォンなど)

そして、現在知られているソフトバンクの形が出来上がった。
株式市場の影響を受け個人資産を激減させたこともあるが、へこたれずまだまだ躍進する勢いをとどめない、これからも注目すべき人である。

孫正義の名言

  • (リーダーが持つべき3つのポイント「理念、ビジョン、戦略」)この3つを持っていないリーダーにはついていくべきでない。これが僕が日本の学生諸君だとか、サラリーマンの人たちに言いたいことです。もちろん政治家でも、経営者でも同じです。
  • 私は自分の人生は波乱万丈ではあるけれど、やってる本人にしてみれば面白くて仕方がない人生だと思っています。何度でも孫正義の人生をやりたい。たとえ無鉄砲だと言われても。
  • 新入社員の発言でも、それが正しいことならば会議を通るという体質にしておかないと、会社は成長していきません。
  • 役員会や社内会議でよくありがちなのは、肩書が上の人の意見が通ってしまうことです。ある意見に対して、正しい、間違っているという判断ではなく、「これは社長の意見だから、あれは部長が言ったことだから」と通してしまうと、誰も意見を言わなくなる。
  • 20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低でも1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ。
  • やみくもに攻める前に、全体をとらえるべきです。まずはじめに、どこで世界一になるのかの方向性を定めなければいけません。どの分野で事業をするかで、将来の半分は決まります。ナンバーワンと組むことに成功すれば、黙っていても全てがうまくいきます。
  • 知恵で勝負することが重要なのです。
  • 近くを見るから船酔いするんです。100キロ先を見てれば景色は絶対にぶれない。ビジョンがあれば、少々の嵐にもへこたれません。苦しいときこそ、船と仲間を命がけで守れる人でなければ、大将になってはいかんのです。試練なんて黙っていてもやってくるものなんです。
  • よく社長就任のあいさつのときに感想はと聞かれると、日本の社長は「いや、思いがけずしてなりまして」ということが多いですよね。「思いがけずして」などという人は社長になってはいけない。社員は迷惑する。お客さんも迷惑する。もちろん、謙遜で言われているということはわかりますが、謙遜にも限度があるだろうと思うのです。
  • 本当にリーダーシップを発揮しようと思えば、重要な順に三つ、僕が思っていることがあります。一番最初に重要なのが理念と志。二番目に重要なのがビジョンです。そして三番目が戦略です。これがリーダーシップを発揮していく人、事業を興す人が持つべき重要順の3つのポイントだと思っています。
  • チャレンジしようというスピリットが大事なんだと思うんです。日本全体が変わっていかなきゃならないんです。ただじっと待つんじゃなくて、みんなが行動を起こさなきゃならない。
  • 世の中に対しても、メーカーに対しても、「あいつは裏切る男だ」と、そういうレッテルを貼られるようなことは、絶対にしてはいけない。情報インフラの提供者としての地位を築くためには、どんなに苦しくても、われわれは中立なんだという立場をつねに取り続けなければいけない。最初から中立でなければ。
  • 最初にあったのは夢と、そして根拠のない自信だけ。そこからすべてがはじまった
  • 他の人間にできることならば、同じ人間である僕にできないはずはない。僕はそう思うんです。他の人間ができるのに、同じ人間の一人である僕にはできないとか、できないと思わなければいけないとか、そう思うことのほうが不自然じゃないですか。絶対におかしい

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