フィル・ナイトの生涯・名言

ナイキ創業者

運動用具からファッションへ靴を進化させた

項目人物像データ
本名:フィリップ・H・ナイト
特徴:陸上が大好き・戦略家
得意科目:マーケティング・会計学
出身大学:オレゴン大学・スタンフォード大学
大学の専攻科目:経営学・MBA

フィル・ナイトの生涯

コンマ1秒でも速く走りたい思い

1938年、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドに生まれた。
幼い頃から、スポーツマンで特に陸上に力を入れていた。
大学はオレゴン大学に進学した。
大学時代も陸上を続けており、ここでコーチのビル・バウワーマンと出会う。
ビル・バウマーワンはすぐれたトレーナーで指導はもちろんのこと道具の開発なども手がけていた。
そのなかにはシューズの開発も行われておりフィル・ナイトは多くのことを学んだ。

第一の創造と第二の創造

1959年、オレゴン大学で経営学の学位を取得した後、スタンフォード大学のビジネススクールに進学し、MBAを学んだ。
スタンフォード大学の修士論文でマーケティングについて書くことになったときのこと、フィル・ナイトは低賃金の労働者を使って効率的な生産を行えば、競技用のシューズのマーケットでアディダスやプーマといったドイツの大手企業がいる市場に参入できるのではないかという論文を発表した。
スタンフォード大学を卒業した後の1962年、フィル・ナイトは修士論文の内容を実際に行動に移した。
日本のオニツカタイガー(現在のアシックス)を探し出しシューズの発注を行ったのだ。

思い通りにいかない経営

1964年、日本からアメリカに帰国し、大学時代のコーチのビル・バウワーマンに力を貸してくれるよう要請しに行った。
ビル・バウワーマンはチームを組むことを決め、二人で500ドルずつ出資しあい、ブルーリボンスポーツ社を設立。
初期の頃はフィル・ナイトが自分の車にシューズを詰め込み、各競技会場に販売しに行っていた。
この頃は生活を支えるための収入も入らなかった。
フィル・ナイトは靴を販売するかたわら、しぶしぶポートランド州立大学で会計学を教える仕事に就くことになる。
1971年から会社名をギリシャ神話の勝利の女神「ニケ(NIKE)」からもじったナイキに変更し、ビル・バウマーワンはいっそうシューズの開発に励んだ。

ナイキのブランド戦略

この年にビル・バウワーマンがソール(靴底)のワッフルアイロンにゴムを注入するという方法を編み出した。
現在のスポーツシューズの原型となり、それまでのシューズとは全く違う画期的なものだった。
さらに翌1972年、フィル・ナイトはナイキをブランドとして売り込むためにロゴマークを取り入れることを決め、勤め先の大学で、グラフィックデザイナーをはじめたばかりのキャロライン・デビッドソンにデザインを依頼した。
デザインの依頼料は35ドルだったが、このロゴマークが後に30億ドル以上の価値を生むことになる。
キャロライン・デビッドソンはしばらくの間、ナイキ製品のデザインも手がけた。
この年にフィル・ナイトは更にマーケティングの才を発揮する。
スポーツの一流プレーヤーに報酬を出し自社のシューズを履いてプレーしてもらうことで一般の人の目に売り込むことを思いつく。
最初に契約した選手は陸上中距離のスティーブ・プリフォンテーンだった。
この選手はなんと、この年の1972年のオリンピックで、もう一息でメダルに手が届くというところまでの活躍をみせた。
この頃からナイキは徐々に認知されるようになりブランドとしてのイメージが出来上がってきた。

ナイキの快進撃

1978年には7100万ドルの売上高を上げている。
1980年に株式を公開し更なる急成長を遂げた。
1982年、ソール部分にエアクッションを入れたバスケットシューズ第一号となるエア・フォース1が発売。
1983年売上高が1億4900万ドルに上ると、フィル・ナイトはロゴを依頼したキャロライン・デビッドソンにダイヤモンド入りのスウィッシュ(ロゴの名前)リングとナイキ株を手渡した。
ナイキはこのころからシカゴ・ブルズのバスケット選手マイケル・ジョーダンの名前とともに爆発的人気を勝ち取っていく。
ナイキのシューズは若者の間で流行のファッションになっていった。
なんといっても1985年にエアジョーダンが驚異的な売り上げを記録した。
1990年代に入るとゴルフ、テニス、サッカー、フットボールなどさまざまな競技も対象を広げ、タイガー・ウッズ、アンドレ・アガシなど多くのスター選手とのスポンサー契約を交わした。

さまざまな苦悩

一方で、この頃ナイキは問題にも直面した。
ナイキは自社工場を持たず製品デザインだけ自社で行った後、海外の工場に発注をかけるという方法をとっていたのだが、これが児童労働、低賃金、強制的残業などの批判を浴びるようになったのだ。
1999年からフィル・ナイトはグローバル・アライアンスを設立し世界各国の多国籍企業の労働環境の調査を行い労働環境の改善に取り組むようになった。。
2000年以降もフェルナンド・トーレス、ウェイン・ルーニー、稲本准一らが愛用しているTOTAL90。中田英寿、ロナウジーニョの愛用しているAIR LEGEBDなど数々のシューズをはじめとしたスポーツ用品をヒットさせ、スポーツ用品としてだけではなくストリートファッションの必須アイテムブランドとしての地位も確立している。

フィル・ナイト名言集

  • われわれはスポーツ関連の会社であって、ただのシューズメーカーではない。
  • まずは自分に、教育という贈り物を与えなさい。
  • 自分が心からやりたいことをやりなさい。そうすれば、ほかのことは自然についてくる。
  • チャレンジしなかったら、成功するかどうかさえ分からない。
  • 人生で最後の一回だけ成功すればいい。それまでトライし続けることが重要だ。チャレンジしなかったら、成功するかどうかさえ分からない。ラストチャンスだけは失敗しないようにすればいい。
  • レストランを開きたいと思っても、厨房で一日23時間働く覚悟がなかったら、やめたほうがいい。
  • 漠然と事業を始めたいではだめ。参画したい事業があり具体的にやりたいことがなければだめ。失敗してもやり続けることが大事です。

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