ハーブ・ケレハーの生涯・名言

サウスウエスト航空創業者

「破天荒」な経営者

項目人物像データ
本名:ハーブ・ケレハー
特徴:運動も勉強もできる秀才・人を大切にする・挑戦者・初志貫徹・型破り
得意科目:法律(?)全て(?)
出身大学:ウェスリアン大学、ニューヨーク大学
大学の専攻科目:法律

ヘンリー・フォードの生涯

文武両道な学生時代

1932年3月12日、ニュージャージーに生まれる。
学生時代はスポーツも勉強もよくでき、コネティカット州ウエスリアン大学を卒業後、ニューヨーク大学に進学するほどだった。法律を学んだ。

ニューヨーク大学を卒業後、ニュージャージー州最高裁判所の事務官として勤務し、その後テキサス州で自ら法律事務所を開いた。

サウスウエスト創業の経緯

この法律事務所でのクライアントの一人、ローリン・キングが「ダラス、ヒューストン、サンアントニオの3大都市を結ぶ低運賃の航空会社を作ると儲かるのではないか」と話してきたのをきっかけに、サウスウエスト航空の原型が出来上がる。
このとき2人がビジネスプランや運行パターンを紙ナプキンの裏に書きなぐったものが今でもサウスウエスト航空の本社に壁に飾ってある。 1960年代の航空業界の状況はプラニフ、テキサス・インターナショナル、コンチネンタルという3つの大手が独占状態だった。
ここに新しく会社を作り参入するのはかなりの苦行で、運行認可申請を阻止しようとするさまざまな訴訟が起こり、ケレハーは100万ドル以上の費用をつぎ込んで勝利する。
ケレハーを最高法律顧問として1971年にサウスウエスト航空は事業を開始する。

創業当初の苦戦

会社の立ち上がりは厳しく競争相手からの強力な圧力を受けた。
最初の2年は元をとることもできず、3年目にようやく利益が出た。
ケレハーは2大目標を打ち出し、それに合わない限り、いままで当然といわれていた経営手法を排除した。
その2大目標とは「顧客を楽しませること」と「経費を削減すること」だった。
コストを抑えるためには、上座席の予約は無く早い者勝ちによって席が決まるようにしたり、機内食を排除しピーナツだけにした。これによって乗り継ぎ時間の短縮にもなっている。
顧客を喜ばせるためには、3月17日の聖パトリックの日には客室乗務員が妖精の衣装で出迎えるイベントが催されたり、安全装置の説明がちょっとした劇になっていたりする工夫がこらされている。

最もはたらきたい会社と言われる所以

ケレハーは従業員の配慮に最も力を入れており、本社では服装はカジュアルで、いたずらが飛び交い、誕生日の従業員を祝福するパーティーが開かれる。
ケレハーにとって「サウスウエストで働くことは何よりも楽しい」と思ってもらわなければならないという考えが基盤となっている。
その甲斐もあってサウスウエストの離職率は業界でも最低水準で、労働争議で赤字になったことは一度もない。
1982年に、ケレハーが最高法律顧問社長からCEOに就任した段階での売上高は2億7000万ドル、従業員2000人、保有機27機だったが、2001年CEOを辞任までに売上高は50億ドルを超え、従業員は3万人、保有機は344機と急成長させた。
2006年のデータではサウスウエスト航空は全米6位の航空会社だが、顧客輸送数は1位となっている。
また、サウスウエスト航空は同時多発テロのとき唯一レイオフを実施しなかった航空会社である。

ケレハーは広告にまつわる他航空会社からの揉め事を法廷には持ち込まず、CEOどおしの腕相撲でケリをつけたり、求人広告に自分がエルビス・プレスリーの格好をした写真を載せて応募者の履歴書の提出先を「エルビスへ」とするようにと書くような人物である。 (採用条件はユーモアのセンスのある人が重要視される。)

ヘンリー・フォードの名言

  • われわれは航空業界の飲んだくれだ。
  • 我々には「戦略的」計画がある。それはただ押し進めることだ。
  • 従業員第一主義、顧客第二主義。
  • 科学の本でも書こうかな、それとも天文学にしようか。

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