マーク・マコーマックの生涯・名言
IMG社創業者
マーク・マコーマックの生涯
子供の頃のマコーマック
1930年11月6日、アメリカに生まれる。
幼い頃から父親とゴルフに通うほどゴルフが好きだった。
なぜゴルフだったかというと自動車事故により激しいスポーツをすることができなくなってしまったからだった。
大学はバージニア州ウィリアム・アンド・メアリー大学に通い、フランス語の学位を取っている。
この後イェール大学のロースクールにも通った。
学生時代は優秀で、大学新聞のスポーツ担当記者であり、フランス語クラブではリーダーだったほどだ。
この頃もゴルフには真剣に取り組んでおり、1950年に大学対抗のゴルフトーナメントに出場。
このゴルフ大会でアーノルド・パーマーと出会う。
IMG設立のキッカケ
大学卒業後もマーク・マコーマックはプロゴルファーになろうと真剣だった。
しかし1958年のUSオープンに出場し自分の能力に限界を感じてしまった。
そして1960年から法律事務所で働くようになる。
この法律事務所での弁護士としての活動と並行して、仲間のディック・テイラーとともに小さなスポーツサービス会社「ナショナルスポーツマネジメント(NSM)」を設立した。
このナショナルスポーツマネジメントではアーノルド・パーマーをはじめとした多数の一流ゴルフプレーヤーのために招待試合の日程を押さえる仕事だった。
会社設立のキッカケは、マーク・マコーマックがアーノルド・パーマーの家に行ったある日、アーノルド・パーマーの奥さんが彼宛に届いた大量の手紙を整理しているのを目にしたことだった。
そのときマーク・マコーマックは保険、税金対策、資産管理、請求書の支払いなどは人に任せて夫婦でゴルフに専念できるような環境をつくることが大事だろうと思い夫婦に提案したところ、それならということでマーク・マコーマック本人が自らその業務を任せてもらえるということになった。
マーク・マコーマックはナショナルスポーツマネジメントを辞め、アーノルド・パーマーの専属マネジャーとして活躍した。(このときインターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)社がはじまったといわれている)
アーノルド・パーマーをブランドに
当時は、ゴルフ選手に企業がスポンサーとしてつくということは無い時代だった。
それから徐々にゴルフ人が高まってきたときのこと、テレビが普及してゴルフもテレビ中継されるようになった。
するとアーノルド・パーマーには熱狂的なファンが多くついた。(熱狂的なファンの集団はアーニーズ・アーミーという名称がつくほどだった。)
アーノルド・パーマーの人気はもっと他に何か事を起こせると確信したマーク・マコーマックは彼を一つのブランドとして売り込むことに成功する。
このブランドとしてのアーノルド・パーマーは、本人が現役を遠のいてからも第一線で地位を確立している。
(ちなみに『アーノルドパーマー』というファッションブランドは、このときのアーノルド・パーマー選手の人気を知った日本の株式会社レナウンが発足させたブランドでパラソルのロゴを使って、本人の名前とCM起用で売り込まれたものである。)
さらには、企業の経営者とスター選手が交歓できるイベントを初めて開催することに成功する。
(以来、企業のゴルフイベントが盛んに行われるようになった。)
質の向上と確立、そして事業拡大へ
マーク・マコーマックには他にも多くのスタープレーヤーからのマネジャーとしてのオファーがくるようになった。
しかし、一度にマネジメントする人数を急激に増やしてもサービスの質を保てないと感じたマーク・マコーマックはほとんどのオファーを断った。
3人ならなんとかマネジメントできるだろうと考え、ただ二人、ジャック・ニクラスとゲーリー・プレーヤーという選手と契約を結んだ。
(後にジャック・二クラスとアーノルド・パーマーは全米プロゴルフ選手権37回という最多出場記録を打ち立てるようになり、ゲーリー・プレーヤーも二人に継ぐトッププレーヤーとなる。)
マーク・マコーマックは1週間168時間びっしり計画を練って行動した。
この行動計画が確立し、業務が完全にこなせるようになってマーク・マコーマックはいよいよインターナショナル・マネジメント・グループ社の事業の拡大に乗り出す。
1966年以降、個人的な契約が結べるさまざまな競技のプレーヤーと契約し、1970年には団体スポーツのプレーヤーにも範囲を広げていった。
現在でも、タイガー・ウッズ、アンドレ・アガシ、マルチナ・ヒギンス、錦織圭、浅田真央、ジーター、ウィリアムス姉妹、マリア・シャラポアなど誰もが耳にはしたことがあるであろう面々を抱えている。
1990年代からスポーツ選手以外(モデル等)のマネジメントも手がけるようになり、さらにイベント創造・運営、テレビ番組の制作、WEBサイトの運営なども手がけるようになっている。
マーク・マコーマックは毎日4時半には起床しており、1年に50万キロ世界中を飛び回るという精力的な活動をこなしていた。
2003年、72歳、亡くなるまで会長業をやりぬいたという。
マーク・マコーマック名言
- 負けたと思った時点で、負けが決まる
挑戦できないと思った時点で、挑戦は終わる
勝ちたいけれど勝てないと思った時点で勝負がつく
人生という戦いに勝ち抜くのは
強く、速い者とは限らない
最後に勝ち残るのは
勝つという自信をもった者だ
(アーノルド・パーマーのオフィスに掲げられているモットー) - 誰かに任せるべきですよ。保険を選んだり、税金対策や資産管理をしたり、契約やファンレターの整理、支給初の支払いといったことは人に任せて、ゴルフに専念するべきですよ。
- イベントは骨折もしないし、初戦で敗退もしない
- 朝の4時とか夜の11時とかに電話がかかってくるくらいだから、マコーマックが人より働き者だということは理解できる。睡眠もとっているはずだが、それが何時間なのか検討がつかない。
- ビジネスとは人間相手のゲームである
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