イングヴァール・カンプラードの生涯・名言
イケア創業者
イングヴァール・カンプラードの生涯
起業家スピリット漂う幼少期
1926年、スウェーデンの田舎町の農場で生まれた。
(1920年代から1930年代のスウェーデンは経済的に厳しい時代だった。)
カンプラードは5歳のときに近所の人たちにマッチを売る仕事を始めた。
そこから自分でとった魚の販売や採取したコケモモというクランベリーに似た果実をバスで出荷するビジネス、園芸用の種の販売なども行うようになった。
どれもスウェーデンは国土が広く流通が難しかったことと自分の資金面から考えてカタログを送り通信販売でものを売るというアイデアを思いつき、手がけたものだった。
イケアの初期モデル誕生
1943年の17歳の時はじめて自分の会社を作りイケアと名づけた。
新聞広告の掲載や地元の牛乳配達のバンと鉄道網を使うようになり規模はどんどん拡大していった。
1946年には兵役義務を果たし、再び会社に復帰した。
第一の作戦
いろいろ販売するなかでカンプラードは日用家具の需要が高いことに気がついた。
地元の家具製造業者から安く買い入れることもでき、見事この作戦は成功する。
第二の作戦
1953年になると通信販売業界全体が、競争相手の粗悪品販売や価格破壊などにより悪影響を受けるようになってしまう。
ここでイングバール・カンプラートはお客様に実際に見て手で触れることができるが必要と考える。
廃業寸前の家具店を買収し、1953年に3月に家具展示場を新設した。
開場初日、遠くからわざわざ品を見に来る人がいるのか不安だったイングバール・カンプラードは無料でコーヒーとロールパンをふるまうことにし、これが効を奏して初日から1000人を超える人たちが開店に並んだ。
ここからいまのイケアの原型である飲食の提供が始まった。
イングバール・カンプラードはコスト削減に徹底するようになり、紙をはじめひもや箱などあらゆるものを節約した。
競合からの圧力
1955年まで順調にことが運びすぎイケアは競合他社から頭一つ抜きん出ていた。
このため取引先の起業がイケアに製品を供給するなという圧力を受けるようになったり、イケアだけが家具の見本市という地域の見本会場から締め出されたりした。
それにもへこたれることなくイングバール・カンプラートは自社で家具の設計、製造をはじめ、専門の展示センターも自前で確保した。
さらに、車に積み込むことができるように一つ一つの部品を分解し、できる限り小さく梱包された「フラットパック」が1956年に導入。
1958年には6700平方メートルにも及ぶ広さの店舗を完成させる。
1965年からセルフサービスも導入され1970年代にはヨーロッパ全土にイケアは拡大していた。
現在スウェーデンで一番読まれている本といえばイケアのカタログだろうとも言われるほどに発展している。
イングバール・カンプラードの仕事は家具を売ることではなく大衆に奉仕することで、大衆が何を求めているかを普通の人の視点で考えることだとも言っている。
自分自身も近所のスーパーでは値切るし、飛行機もエコノミークラス、服装もカジュアルでありつづける。
イングヴァール・カンプラードの名言
- 品揃えこそ、われわれ本来の仕事だ。
- 利益がわれわれの存在の源泉だ
- 少ない資源で優れた成果を達成しよう
- 単純は美徳
- 今までとは違った方法を試そう
- 成功するために重要なのは、気持ちを集中させることだ
- 責任を果たすことがわれわれの喜びだ
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