アンドリュー・カーネギーの生涯・名言
鉄鋼王にして慈善家
カーネギーの慈善活動
アンドリュー・カーネギーは莫大な額の慈善活動を行ったことでも非常に有名です。
アンドリュー・カーネギーと20世紀最大の大富豪ジョン・D・ロックフェラーはあまりに多くの額を慈善活動にあてています。
これら多くの慈善活動は当然マスコミにも注目され「社会貢献事業競争」とまで題されました。
ジョン・D・ロックフェラーは実にアンドリュー・カーネギーの数倍の資産を有していましたが、慈善活動に使っている金額はアンドリュー・カーネギーのほうが上でした。
慈善活動にあてた一部をご紹介させてもらいます。
1904年、ロックフェラーの1000万ドルに対し、アンドリュー・カーネギーは2100万ドル。
1910年、ロックフェラー13427万ドルに対して、アンドリュー・カーネギーは17930万ドル。
1913年、ロックフェラー17500万ドルに対して、アンドリュー・カーネギーは33200万ドル!
これ以上の資産があることにも驚きですが、それを慈善事業に惜しげもなく使うアンドリュー・カーネギーはどのような人物だったのでしょうか。
アンドリュー・カーネギーの生涯
アンドリュー・カーネギーは1835年11月25日に、スコットランドのダンファームリンで生まれた。
カーネギーが12歳の頃、蒸気機関が盛んになり父親の仕事が経済的に厳しくなり家族でアメリカに移住。 カーネギー少年は学校には行かず、近くの綿紡績工場で週給1ドル20セントで働いた。
その後、叔父の勧めでこの仕事を辞め、メッセンジャーボーイとしてピッツバーグ電報局に就職する。このときの週給は2ドル50セントだった。
その頃、ペンシルベニア鉄道で西部地区の支配人をしていたトーマス・A・スコットがカーネギーの能力に目をつけ月給50ドルで秘書兼電信士として採用した。 ここでは、ある事件(スコット局長が不在のとき、カーネギー自らがスコット局長といつわって会社の人たちに電信で適切な指示を出した)をさかいに管理局の電報受診システムを一手に任されるようになる。 カーネギーに投資を教え、資産家への道を踏み出させたのはこのスコット局長だった。
カーネギーが30歳になった頃、これからは鉄の時代だ。「鉄で富を得よう」という志が芽生え、すぐに鉄道を辞め鉄橋建設会社、キーストンブリッジ社を設立する。この会社といくつかのベンチャー企業に関わり成功を収める。 この頃、イギリスでは鉄鉱石から鉄を作り出す生産工程の工業化が実現していた。 カーネギーはしばしばイギリスに出張しており、この製鋼法を目の当たりにする。
急いでアメリカに帰ったカーネギーは、カーネギーマッキャンドレス社を設立し1870年には初の高炉を建設しベッセマー製鋼法の実用化に取りかかった。 それから、10年後にはブラドッグに溶鉱炉を建設し24時間稼動を実施し、年間200億ドルの利益を稼ぎ出した。
翌年カーネギーマッキャドレスを改変してカーネギーブラザーズとし、そのまた翌年にはヘンリー・C・フリックのコークス製造会社を買収した。それ以来フリックはカーネギーの右腕となった。 右腕ができたカーネギーは鉄鋼の製造法の研究をさらに続けるためにニューヨークに移る。
フリックはすばらしい経営手腕を発揮し会社の問題点を改善することでカーネギーブラザーズを世界最大の鉄鋼会社にまで発展させる。 しかし、フリックは問題も起こしてしまう。出来高払いの給料を引き下げたのだ。 労働組合は激怒しストライキを起こしてしまう。 さらに、火に油を注ぐかのようにフリックは300人のスト破りの労働者を雇い事態は暴動にまで発展。 遠方にいたカーネギーは激怒した。 それは自分の会社が崩壊したということにではなく、スト破りをしてはならないという明確な指示に対してフリックが動いてしまったからである。 カーネギーは倫理観からこの不祥事で流れた血の跡に何年も苦しんだ。 カーネギーはフリックを公然で非難することはなかったが、2人の関係は悪くなった。 会社はその後も発展を遂げたが、カーネギーは1889年に1500万ドルという高額でフリックの株式を買い取った。
1901年に財界の首領ジョン・P・モーガン等にカーネギー製鉄会社を5億ドルで売却し、世界最大製鉄会社のUSスチールが誕生する。
カーネギーはその後、生きているうちに自分で金を浪費するよりも社会のために金をつかいたいといわんばかりに、慈善活動としてカーネギー財団を設立している。
引退前にもカーネギーホールやカーネギー技術学校(後のカーネギーメロン大学)などを設立している。
アンドリュー・カーネギーの名言
- 小さく砕いて、一つずつ解決すれば、解決できない問題はない
- 真っ先に学ぶべきは貯金だ
- 貯金をすることで、あらゆる習慣のなかで最も大切な倹約という習慣を身につけられる。倹約は資産作りの名人だ。倹約は財産を生み出すだけでなく、人格をも育てる。
- 私は特別な人間ではない。しいて言えば普通の人よりちょっと努力しただけだ
- チャンスに出会わない人間は一人もいない。それをチャンスにできなかっただけである
- 必要な条件をすべて与えられながら、即座に決断を下すことができない人は、いかねる決断も下すことはできない。
- 成功するには、成功するまで決して諦めないことだ
- 私は、自分が作り上げた莫大な財産の大部分を、多くの人々と分かち合いたいと思う。 その財産とは、私が巨万の富を得ることを可能にさせた成功に関する哲学のことである。
- 裕福な人はその富を浪費するよりも、社会が豊かにあるために使うべきだ
- 他人の利益を図らずして自ら栄えることはできない。人は受けるより与えることのほうがもっと幸せなのである
- 自分で仕事をするのではなく、仕事をさせる適材を見つけることが大切だ
- 自分の名誉を傷つけられるのは、自分だけだ
- 諸君の勢力と思考とを、自分の使命に集中させよ。なすべきことを、とことんまでやりぬけ。あらゆる改善をし、あらゆることに精通し、成すべき仕事を完璧にマスターせよ。
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